弾誓寺

作仏聖の開祖の名を残す寺…弾誓寺

もともとは現在の大町市社地区の木船にあった寺が、
仁科氏の居城が社・舘ノ内から
現在の天正寺の地に移されたのと時を同じくして
当地に移された。

戦国時代、仁科氏が滅亡し、
当時浄福寺と呼ばれていたこの寺も寂れ果てた。

それが、江戸時代に入り、佐渡ヶ島で開眼し善光寺に訪れた
弾誓上人がまずは常念仏道場として再興した。

信濃の名跡、常念仏のメッカであった弾誓寺

そして寺としての開祖は長音上人。弾誓上人から数えて三代目。

その後は木喰僧であり作仏聖(さぶつひじり)である
弾誓派の僧侶たちがが住職を務めた。
一時は安曇地方で最大の寺であった。

それが遊行僧の存在を認めない時代と成り、寺は次第に廃れ
明治維新後、廃仏毀釈で一旦廃寺になった。
寺は復活はしたがその後寂れ、荒れ果てた寺。
往時を偲ばせるものは少ない。

それでも、この地方の民に慕われた当弾誓寺の第六代目住職の
「山居さん」が入定した観音堂。

何十年にもわたって絶えること無く唱え続けられた
「常念仏」を示す数本の石碑。

「南無阿弥陀仏七万日回向」と書かれた碑。7万日は191年。
はたして本当に絶やさず念仏が唱え続けられたのだろうか?
ほかにも「六万日回向」「二万日回向」の碑があります。

木喰山居が入定し即身仏に成った観音堂

山居が床下で即身仏になったとの言い伝えのあった観音堂。
2002年に調査されました。確かに痕跡がありました。
その様子は日本テレビ系列の番組でも放送されました。
今は見る影も無いが、ここは昔確かに「パワースポット」だったのだろう。
自分はこの地で山居さんを思うと背筋が伸び襟を正す様な気持ちになる。

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