山岳信仰とは何か?

安曇野と山岳信仰

「山岳信仰」果たしてこの言葉の
本来の意味、意義は何でしょうか。

「山岳信仰とは、山を神聖視し崇拝の対象とする信仰。」
ウィキペディアではこう書かれています。

日本の神道は古くから八百万の神、
すなわち5行と呼ばれる火や風、水などや自然現象にも
そこかしこに神が存在するという考え方です。

たとえば夏から秋にかけて発生する台風。
毎年各地に多大な被害をもたらします。
ところが当地、安曇野は西に3000m級の山々の
後立山連峰が連なり
さらにその西にも立山連峰が連なります。
大きな二重の壁により
ほとんどの台風はコースをずらし
安曇野は直撃を受けず被害も少ないのです。

山に守られているのを実感します。
台風で大変な被害を受けた地方の人たちに
申し訳なくなるくらいなのです。

だから古くから山に感謝し、
山に神がいるのではとも思える
「山岳信仰」が盛んになったのは非常にわかります。

山に感謝する、それが山岳信仰?

台風が来ない、有り難い・・・
それが信仰につながる・・そのとおりでしょう。

でも山というのは怖ろしいものでもあるのです。

安曇野より南へ北アルプスをたどると御嶽山があります。
2014年の噴火の被害は記憶に新しいところです。

なかなか立ち入ることもできず
未だ行方がわからない方もいらっしゃいます。
被害にあわれた方々のご冥福を改めてお祈りします。

それはきれいな風景、日本一の富士山とて同じこと。
日本の象徴であると同時に
有史以前から何度も噴火を繰り返し来ました。
恐れ、脅威の対象でもあるのです。

今でも富士山が噴火したら
どういう被害があるのか多くの予想がされています。

100年程度に一回は大噴火をしているのに
もう数百年噴火してないので
いつ大噴火してもおかしくないとの説を
唱える学者も多いのです。

美しい姿の憧れと畏怖の気持ち・・・
富士講という山岳信仰が
うまれたのはよくわかります。

富士講は江戸時代の民間信仰です。
関東・中部をはじめ、東北や近畿・中国地方など
全国に広がりました。

そして各地に浅間神社や
富士塚が築かれるようになりました。

安曇野の信仰の山・・・有明山

安曇野は北アルプスの山々が
我々を見守ってくれています。

北アルプスで信仰の山として有名なのは
立山です。しかし安曇野からは見えません。

安曇野から見える象徴的な山としては
やはり有明山でしょう。
安曇富士とも呼ばれる有明山は
古くから有名でした。

2012年の大河ドラマでやっていた「平清盛」。
あのドラマにも出てきた、
藤木直人演じた西行法師が
「信濃なる有明山を西に見て 心細野の道を行くなり」
と歌っています。

また後鳥羽上皇も歌を読み西面の武士として上京した
仁科盛遠に贈っています。
「片しきの衣手さむくしぐれつつ 有明山にかかるしらくも」
という和歌です。

古くから遠く都にも知られていた有明山。
そして安曇野の象徴になるような特異の形をした有明山。
その当時から霊山として有名でした。

ゆえに山麓に有明山神社が置かれ、山頂には奥宮があり
古来から当地の信仰の対象となっています。

安曇野と修験道

大町市にある「若一王子神社」は
仁科氏が鎌倉時代に熊野神社より
分祀したものといわれています。

熊野神社は熊野信仰が有名です。
熊野三山をはじめ自然信仰の聖地であった熊野は
有史以前からの歴史があり歴代の多くの天皇も参拝した神聖な地でした。

そんな山岳信仰の聖地とも言える熊野よりこの地へ分祀された
若一王子というのは神仏習合の神であり修験道の神だそうです。

ちなみに「若一王子神社」には神社でありながら
仏塔である三重塔が聳えています。

その「若一王子神社」を代々守ってきた
今の大町市あたりに移り住んでいた仁科氏は
山岳信仰の修験道と
深く関わっていたのではないかと思われます。

その末裔が住んでいた仁科の里には
その痕跡が確かにあったのでしょう。

例えば大町市の江戸時代の古い地図を見ても
修験道の山伏はこの地方には多く住んでいたと地図に残っています。

山伏と別?木喰行をした作仏聖

「若一王子神社」の三重塔を勧進し建立したのは
木喰山居という作仏聖です。

作仏聖と修験道の山伏とは一線を画すのか
それとも関わる部分があるものなのかは
定かではありません。

彼らは虫倉山という
安曇野から北東の位置にある山で
木喰の行をして仏を彫りました。

そして即身仏になるものもいました。
木喰山居は大町市の弾誓寺にて入定しました。

木喰山居は残念ながら
信州以外ではあまり知られていません。

作仏という点では一般的に
円空や木喰行道のほうが有名です。
即身仏という点では
東北の出羽三山などが有名です。

しかし山岳信仰に通じるものがあると思える
作仏聖の流れをくむ
木喰山居をはじめとする遊行僧が
この地で江戸時代に活躍したことは事実です。

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