仁科三湖のひとつ木崎湖に伝わる話

木崎湖畔に在った森城址の話

『森城址』

平村木崎湖畔の森城址は往昔山田城とも云ひ
鎌倉時代の初期から戰国時代の末期迄
約五百年間仁科氏累代の據つた処で、
承久の忠臣仁科盛遠も此處の城主であつた。

この城址に一の哀話が傅たへられている。
それは仁科盛遠が戦死した後一時この城は
北条氏の家人行野谷政治の領する所となつた。
政治人心の帰服を得ざるに乗じ、
盛遠の遺臣安倍五郎丸貞高城を襲つて政治を殺し
自ら城主となり仁科氏を稱した。

兼ねて久しく東山中の大野田城にあつて
密かに仁科地方計略の企てを有していた
木曽義仲の次男義重は貞高の隙あるに乗じて
天福元年正月急に城に迫つた。

貞高は防ぐ事能はずして湖底をくぐって逃れた。
(恐らく氷上だらうと思ふが傅説となるには
湖底ではなくては面白くなかつたからだと思ふ)
偶々平生愛していた鶏と犬とが彼を慕つて後を追つた。

そのため彼は湖の北岸海の口へ上らうとしたところを
見つかつて敵に捕へられ殺された。
そして木曽義重は将軍頼經に注進し
遂に仁科地方の領主となり自ら仁科氏を稱するに至つた。

所がその年の六月三日大雪降りそれのみならず
種々怪異な事が頻發したので、
土民は彼の亡靈の祟りなりとして
彼の死骸を埋めた海の口に湖岸の塚の上に社を建て
安倍五郎丸明神として祀った。

今でもその小祠はあつて五郎宮と云ひ
數軒のものが祭祀をしている、
そして彼の上陸した所を安倍渡と云つている。

同様な五郎宮が海の口とは反對に
木崎湖から流れ出づる農具川の下流半里程の大町分水區にある。
この宮の周圍には明治初年頃迄幾抱へ程の杉の森があつたといふ。
此處にも同様の傅説が傅わつている。

唯々彼を慕つて追つて来たのが或は飼つていた鷹だと云ひ、
附近に潜んでいた鳥が驚いて飛び立つたからだとも云つている。
やはりこの宮を祀るものも限られていて
分水區の飯島氏二軒が交代に祭禮をしている。
神寳の刀は先年失ってしまったが鎗だけは尚保存されてある。

又此の事があつてから城址のある部落の森區と安倍渡附近とでは
犬と鶏を決して飼わず今日に及んでいる。
偶々飼うものあれば災難が絶えない、
既に幾度か森区は火災に遭つている。
尚城址の裏にある安倍社
(村社、安倍貞任を祀る)には鳥居がない。(一志茂樹)

信濃教育会 北安部会編
『北安曇郡郷土誌稿、口碑伝説篇』第1連号第1冊による

以前フジテレビで画家の山下清をモデルとしての
ドラマをやっていました。
「裸の大将放浪記」というタイトルでした。
その中のある回で仁科三湖付近を舞台とした物語がありました。

確か「犬のいない村」というような紹介をされていました。
その物語はこの伝承を基にして描かれたものと思われますね。

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