アクセス解析 木喰僧、作仏聖:安曇野のパワースポット•癒しのスポット

北アルプスの麓に広がる、「信州、安曇野」のパワースポットや癒しのスポットを紹介します。

木喰僧、作仏聖

弾誓派という作仏聖の開祖、弾誓上人

弾誓上人は天文二十年(1551)尾張国海部郡に生まれたとされています。 幼名は弥釈丸といい四歳で弥陀三尊の名号を唱え、十二歳で出家をしたとされています。 しかしながら前半生ははっきりしておらず謎に包まれた部分が多いようです。 美濃国の観音堂で六年間の念仏修行をはじめる。 三十五歳で諸国行脚へ出て、四十歳で佐渡に渡ります。 佐渡で十四年にもわたりの修行の末、壇特山の岩窟で悟りを開いたといわれています。 その後本州に戻って、念仏聖として信州から相模に寺院復興や建立を行い、 また温泉なども発掘し、慶長十三年に京都の古知谷へゆき、 5年後の慶長十八年に洞窟の中で念仏を唱えつつ入寂したと云われています。


弾誓上人のあとを継いだ但唱上人

弾誓上人は作物聖の祖とも云われており、その弟子には但唱上人がいた。
実際弾誓作の名号はあっても木喰仏は確認されていない。
作仏を盛んにし弟子に伝えていったのは但唱の功績が大きいと云われている。
但唱は1579年摂津国、いまの兵庫県三田市高次に産まれたと云われている。
佐渡の壇特山に渡り、山岳修行中の弾誓の弟子になったともいわれているが
弾誓と佐渡でかかわった直接的な記述は無く、佐渡に但唱の遺物もほぼ無く定かではない。
実際、但唱が修行したのは越後の国の米山山麓であったらしい。
その後相模で修行中の弾誓を訪ね「但唱」の名をもらい、信州の地に弾誓を導いたのも但唱であったようだ。


作仏を実質広め、代々伝えた但唱上人

但唱上人は、積極的に仏を彫り、各地に寺を建立した。
京都蓮華寺、東京大井如来寺などに石仏が現存する。
家康の家臣、大久保長安や天海上人との繋がりもあったという説もある。
各地に弟子も多くいたようで長音、閑唱、感悦、林貞、教念、清眼などがいた。
特に長音上人は佐渡と大町に弾誓寺を開いたり師にも増して精力的に活躍した。


長音上人とその流れを継ぐ聖達

長音は越前金津、今の福井県あわら市に1602年に産まれたと云われている。
師、但唱と同じく虫倉山で修行し弾誓寺、松本の念来寺などを開山。
長音に続いて空誉、明阿、山居、と弾誓の教えは続いていった。
また清念、説離という弟子が諏訪の万治の大仏を創ったのではないかと思われる。
長音は秋田の帰命寺で入定したと云われている。


弾誓6世、山居上人


この地で特に民衆に親しまれていたのが山居上人である。山居仏といわれるものが数多く現存する。素朴なものが多いが、高度な技術の仏も多く残している。また虫倉山近くの高山寺の三重塔の再建、大町市、若一王子神社の三重塔を建立をしている。そして住職を務めた大町弾誓寺の観音堂の下に1724年入定した。入定は伝承であったが、2002年日本ミイラ研究グループのプロジェクトチームにより痕跡が確認された。その模様は日テレ系列の番組で紹介された。


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